ニシヤマ書店 第16回 地球家族 (2)
みなさんは、バックパックひとつで旅に出たことがありますか? バックパッカーの姿は、世界のあらゆる場所で見かけます。そういう僕もバックパッカー体験者。お金とパスポート、寝袋、少しの衣類に食料、飯盒と懐中電灯……。必要最小限のものリュック=バックパックに入れて、毎日、旅を続ける。これって背中に家一軒背負って移動しているようなものです。バックパックはそういった意味で、移動が自由な、ミニマルな住宅設備といえます。
生きる、そのためだけに必要なものはほんの少しで事足ります。でも、私たちの生活は、ものであふれ返っています。生きるのに必要ないのに、なぜ、私たちは、こんなにものを次から次へと購入しつづけるのでしょうか?
それは、まだ古い家の概念に縛られているからです。
生活する時に絶対に必要だと思っている(思い込んでいる)ものがあります。トイレやキッチンといった住宅設備、エアコン、冷蔵庫、照明器具、家具などなど。大工さんがつくる住宅には、工業製品としての設備はあと付けが前提ですから、ハコとしての住宅には多くのものを購入することは必然だったのです。
翻って、21世紀を生きる私たち。その当時から50年近く経った、今を生きる私たちはもはや違う定義の家に住めるにも関わらず、相変わらず古い常識に縛られてはいないでしょうか?乱暴な言い方をすれば、家には、ホテルにとまるかのごとく、身ひとつで移り住めるように全てをビルドインにすることすら、望めばできるのです。つまり、もう何も買い足さなくても快適な設備は、家にもれなく、「ついてきちゃう」のです。
一般に必需品だと思われているものが、必需品でなくなる、これは痛快です。どこまで所有しなくてはならなくて、どこからは所有せずとも大丈夫なのか。ものがたくさんあれば豊かだというわけではないことは、みなさんも気づいている。以前この欄で紹介した「地球家族」からも、それは明らかです。僕は貿易に携わっていた父の仕事の関係で引越が多く、国境を越えての移動も多い家庭で育ちました。引越すたびに家財道具は段ボールに詰められ、大半は船便で、どうしてもすぐに必要なものは航空便で引越先に送りました。船便で送るものは、到着まで数ヶ月かかるので、一定期間は荷物がなかなか届かず、間に合わせの家具で生活することもままありました。今、思い出してみると、段ボールに囲まれての生活は確かに格好のつかないライフスタイルだったかもしれませんが、楽しく、家族全員が助け合わなければいけなかったため、あったかい雰囲気に家が包まれていたような気がします。
では、航空便で送った、とりあえず必要なもので、生活は事足りていたのでしょうか?使わないけど捨てられない、大切だけどふだん使うわけではない。あとから追っかけてくる、船便の荷物の中身は、そういった性格のものです。それらは要らないものなのかというと、決してそうではないのです。本、服、大事な人からもらったおみやげ。大好きだった肉親の形見。そういうものってみなさんにもきっとあるはず。これらはどれも所有せずとも生きてはいけるでしょう、でもそういうものこそ「人生における必需品」なのではないでしょうか。「生活における必需品」と「人生における必需品」。自分にとって本当に必要なものは何かを自ら問うてみると、何か発見があるはず。そしてその先に、新しい生活があるのだと思います。
1993年 アルバニアの家
テレビ、ラジオ、ベッド、ソファ、ダイニングセット以外の物はほとんど見当たらない。それでも家族一同が幸せそうに暮らしているのがうかがえる。それは、家畜や周りの豊かな自然(東京では羨ましい程の豊かさ)のなせる業か。
1992年 日本
他方で、自然は一切なく溢れんばかりの物。物。物。洗濯機、乾燥機、電子レンジ、トースター、テレビ(2台)、コタツ。文明の利器に囲まれている。この状態を笑えないのは、私だけだろうか。生活に本当に必要なモノが何かを見極める時期に来ている。
出典、表紙写真共に 地球家族 TOTO出版刊
ニシヤマ書店第二回でも紹介しています。